導入事例
株式会社カプコン様
世界スタンダードSAP ERPのグローバル企業導入による海外成長戦略の実現
取組
- 海外導入ERPに伴う顧客課題の明確化
- 各国企業との綿密な調整によるスタンダードERPの同時導入
- 海外実績及び技術力より裏付けされたプロジェクト遂行
効果
- 世界各国の経営情報を元にリアルタイム経営を実現
- 海外戦略の精度向上
- 成長戦略立案にむけたマーケティング分析の実現
海外展開を支えたグローバルソリューション
株式会社カプコン
- 創業
- 1979年(昭和54年) 5月30日
- 従業員
- 1,506名(2008年3月31日時点)
- 本社所在地
- 大阪市中央区内平野町3丁目1番3号
- 事業内容
-
- 家庭用テレビゲームソフトの企画、開発、販売
- 業務用ゲーム機器の企画、開発、製造、販売
- アミューズメント施設の運営
- URL
- http://www.capcom.co.jp
グローバル展開するカプコンは経営情報を把握するためにマスターデーター統合を伴うSAPのアップグレードを実施
ゲームソフト大手の株式会社カプコンでは、7年前に導入したSAPシステムのアップグレ-ドと同時に、勘定コード体系と組織コード体系をグローバルで統一し、海外を含めた営業状況をより正確に把握しようというプロジェクトに取り掛かっていた。その作業は予想外に困難を極め、数度のリスケジュールを余儀なくされた。
テクノスジャパンではこのプロジェクトに2007年10月からプロジェクトのプライム・コントラクターとして参画させていただき、プロジェクトの建て直しに貢献した。
グローバルでの科目の統一をトップダウンで決定
「今年9月1日にカットオーバーした新SAPシステムは問題なく動いています。四半期決算の開示日早期化の目標も予定通り対応できました。
私たちの悩みを正面から受け止めてくれて、私たちと同じ立場に立って導入プロジェクトに取り組んでくれたテクノスジャパンの皆さんのお陰です」と株式会社カプコンのIT統括 兼 IT戦略室長の井辻敦雄氏は、紆余曲折のあった2年間のプロジェクトをしみじみと振り返る。
同社が経営トップの強い意志のもとで、基幹系システムの再構築に取り組みを始めたのは2006年10月のことだ。背景には、ゲームの開発費が増大して採算ラインが上がってきたことがある。「日本市場だけでは採算がとりづらくなる中、海外での直販の強化が経営戦略上重要になってきました。
しかし、ITインフラが各国バラバラで、経営判断のためのスタンダードなデータベースがなく、本社が経営数字を把握しにくいという課題がありました」と井辻氏は、プロジェクトのスタートラインを説明する。
そこで、経営トップの判断でグループ共通の情報基盤環境を構築すべく海外での新しいソフトウェア導入を伴うプロジェクトがスタートした。そのうちの一つがSAPの全世界導入を前提とした「業務プロセス標準化・情報化プロジェクト」である。 同社は日本本社をヘッドクォーターとして、北米、欧州、アジアに海外事業を展開している。今回のプロジェクトでは、各海外子会社を含めて、一気通貫で経営状況を見ようというのが目的だ。通常であれば、日本本社のシステムを基準に標準化を進めるべきところだ。しかしながら、日本のSAPシステムの定義をそのまますぐには横展開できない事情があった。
プロジェクトの推進に当たった同社のIT統括 IT戦略室情報企画チーム長 兼業務システムチーム長の中江清造氏は「すでに日本では7年前にSAPを導入していました。本来であれば、それを海外に展開すべきなのですが、勘定科目や組織のマスタデータ構造が未熟で、グローバルな管理を実現するためには見直しが必要だったのです」と話す。しかも、経営の要求するスピードに応えるためには、データベースの要件定義の見直しと、各国のシステム導入を同時に進めなければならない。
様々な課題を抱えたまま、2007年10月のカットオーバーを目指してプロジェクトは動き出した。
グローバルでの科目の統一をトップダウンで決定
「グローバルに同じシステムを稼動させるというよりも、業績の評価基準を統一することが目的でしたから、勘定科目のベースとセグメント情報、ゲームタイトルを表すコードなどの切り口を合わせることを優先しました」と中江氏は要件定義の作業内容を説明する。
具体的には、比較項目を共通化するための勘定コード体系とセグメントのための組織コード体系を共通化することになった。例えば、各社ローカルの違いは、コードに数桁のバッファーを持たせて対応することにしたという。「特に重視したのが、商品の売り上げの捉え方です。採算状況を把握するためには、ゲームタイトルで売れ行きを把握しなければなりません。その上で、プラットフォームや地域など分析のためのメッシュが切れるように考えていました」と井辻氏は語る。
しかし、実際に定義に取り掛かってみると、想像以上に大変な作業になった。問題だったのが、海外子会社との統一よりも、本社のSAPシステムの再構築だった。中江氏によれば「海外子会社には、定義の中からコアになる部分を切り出して、英語化して渡し、現地でSAPの詳細設計や開発を進めることができましたが、本社ではすでにSAPが多角的に使われていて、勘定科目の定義の変更による影響が広範囲に渡っていたのです」という。
よくある話であるが、トップダウンでプロジェクトがスタートしたことも裏目に出る部分があった。
井辻氏がこのプロジェクトに参画した時点では、業務部門も多忙であり、プロジェクトメンバーをきちんと選出しないままプロジェクトが既に進んでおり、IT部門主導で要件定義を進めざるを得ない状況であった。
2007年1月にコアとなる部分の要件を一旦定義したが、その後、業務部門との間での調整に手間取り、勘定コード体系の桁数の変更が必要になるなど、影響の大きい問題が出た。結局、プロジェクトは一回目の仕切り直しを余儀なくされ、2008年1月のカットオーバーが目標とされた。
その後もプロジェクトは様々な課題に直面する。「要件定義が決まらないままデータを移行して販売、物流システムのテストを行おうとしたのですが、プロセスや品目マスターの移行ができないといったエラーが頻発して、とてもテストどころではなかったのです」と井辻氏。このまま進めていても、何度もリスケすることになる危険性が高いとして、2007年の9月末にプロジェクトは一旦ストップすることになる。
「私の着任以前から外部の力を借りずに、PMやチームリーダーの役割を自社のメンバーでこなそうとしていたことにも、無理があったのかも知れません。実際自社メンバーの人数や工数も十分とは言えませんでした。」
SAPカスタマイズやデータの移行作業を行うためのスタッフは外部、つまり当初の委託先に委託していたのですが、前述のようにプロジェクト体制が不完全な状態ではいくらがんばってもスムーズな運営は無理であろうと悟りました。」と井辻氏。旧委託先も困ったのであろう、徐々に役割の線引きを始めざるを得なくなっていった。
「プロジェクト管理やチームリードは元々はカプコン側の担当であったはずと主張されても、私たちにはそれに対処するマンパワーがなく、まさしく無い袖は振れない状態でした。事実上、プロジェクトは暗礁に乗り上げていました」と井辻氏。同氏の表情が当時の苦しさを物語る。
テクノスジャパン社のPMを加えてプロジェクトを再スタート
壁にぶち当たった井辻氏は、当時、北米の海外子会社であるカプコンUSAのSAP導入コンサルティングを委託していたテクノスジャパンの担当者に相談を持ちかけた。「最初は、誰か“当社のスタッフ”としてプロジェクトに加わってもらいたいというお願いでした」と井辻氏。この時点では、まだ旧プロジェクト体制を維持してできるのではと考えていた。しかし、現実はさらに厳しかった。
指揮命令系統であるレポートラインがうまく機能せずに、メンバーが思うように動いてくれない 「データを変換して、新システムに移行してテスト環境を作るのは、思っていた以上に大変でした。そのために必要な工数も機能もスキルも足りないことが、テクノスジャパンの方のアドバイスもあって分かってきました」と井辻氏は、テクノスジャパンのリーダークラスのメンバーをプロジェクトに加え、情報の共有とベクトル合わせ、課題の解決とテストができる環境作りを、各チームのリーダーとして担当してもらうことになった。2007年10から12月にかけてのことである。
直後に要件定義を再度決定し、海外子会社への適用と国内のテスト環境の構築に取り組むことになった。しかし、プロジェクトはまだ時間がかかった。「SAPシステムは自動化プロセスが多く、勘定科目のチェックに時間がかかりました。データをタイムリーに正しく移行するという第一関門すら簡単ではなかったのです」と中江氏はテスト環境以前のデータ整備の難しさを指摘する。ユーザを呼んでテストができる環境ができたのは2008年の2月。カットオーバーの目標も2008年5月に延期された。
その後、決算作業に追われる時期に入り、会計ユーザーがテストに時間が割けない状況になるなど、ずるずるとプロジェクトは更に遅れを生じた。が結局、経営トップの判断で9月1日のカットオーバーを目指すことが決定された。
「業務部門からは不安の声もありましたが、どこまでテストしてもきりがありません。重要なものは個別にフォローするという前提で、期日ありきでIT部門も業務部門も合意しました」と井辻氏は決定の経緯を語る。
日本本社と共通の勘定科目とセグメント情報の切り口を持った海外SAPシステムは、各国で順次カットオーバーしている。北米が2008年1月、香港が2008年5月、そしてヨーロッパが8月に稼動した。結局、日本本社が最後になった形だ。
「テクノスジャパンさんに本格的に加わってもらってからは、率直な議論を交わすことができ比較的順調にプロジェクトを進めることができました。それでも時間に追われてやり残したところも残っています」と井辻氏。「引き続きカスタマ保守サービスの業務プロセスをSAPシステムに統合するなど、より業務の刷新と標準化を進めていきたいですね」と今後の抱負を語った。